塩田のご紹介

「揚げ浜式製塩法」の歴史

塩作りが生業として繁栄していた頃の石川県珠洲市の外浦地区では100もの製塩業者が軒を連ね、この一帯は「塩街道」と呼ばれていました。「揚げ浜式製塩法」は、500年以上前から石川県珠洲市で継承されており、その技術は国指定重要無形民俗文化財として認定されています。
能登の製塩は、加賀藩が寛永4年に、塩生産者に米と生産費を貸与し、生産した塩を返納させる塩手米制度(加賀藩独自の塩の専売制度)を設け、藩の産業として塩作りを奨励したことで発展し、後に塩の専売制度が実施されました。低価格な輸入の塩が用いられ、また「揚げ浜式」が主流だった製塩法が、「流下式」、「イオン交換膜法」へと切り替わり、生産性の低い「揚げ浜式」の塩田整理が開始されました。珠洲市では伝統技術の保存と観光を目的として、3軒の製塩業者を残したのみで、揚げ浜式塩田の塩づくりは衰退していきました。平成9年に塩専売法は廃止されて、以後本市内の事業者らが揚げ浜式塩田を復活させました。現在この製塩法が連綿と続けられているのは唯一珠洲市だけで、長年、製塩業に従事してきた角花家をはじめとする製塩業者がその技術を今日に継承しています。


塩街道と呼ばれた外浦地区の今


能登の塩田
(昭和17年ごろの現・珠洲市西海町)


500年以上の歴史を誇る「揚げ浜式製塩法」
(昭和17年ごろの現・珠洲市西海町)

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